FC2ブログ
プロフィール

花ある日々

Author:花ある日々
ブログへようこそ!

「楽しく、肩の力を抜いて気らくに、子育ても旅も人生も!」をコンセプトに綴っています。片言英語での個人旅行です。出会い、失敗は旅や人生の醍醐味!

2019年2月 中国桂林へ従兄夫婦と4人旅。
2018年秋 世界ゴールド・ノゾエ氏演出『病は気から』さいたま芸術劇場に出演
2018年6月 アメリカ西海岸をレンタカーでまわる。
2018年2月 ノゾエ氏演出ワークショップ『病は気から』(モリエール)芝居に出演。
2017年11月 息子夫婦とクロアチア・モンテネグロ・ハンガリーへ
2016年12月 故蜷川幸雄企画「1万人のゴールド・シアター2016」に出演。
2016年9月 夫婦でニューヨークへ。
2016年2月 従兄弟夫婦と4人で台湾地方旅。
2016年1月 夫、息子と私の3人でコペンハーゲン、スウェーデン、アイスランドへ。
2015年9月 夫と車で北海道ユースホステル利用の安旅。
2015年8月 友達と韓国ソウル、安東、水原へ
2015年5月 従兄弟夫婦と4人でベトナムへ。
2014年11月 女友達4人でメルボルンへ。
2014年10月 従兄夫婦と4人でトルコへ。
2014年2月 韓国南部の田舎街へ夫と2人旅。
2013年10月 1か月ヨーロッパを夫との2人旅。
2013年1月~2月オーストラリア・ニュージーランドを35日間の旅。自炊中心の安旅行。
2012年4月〜5月 韓国・上海。

夫:慎重派、倹約家、現実的、カメラ好き 走ることや木工細工が趣味。

私:好奇心旺盛、向こう見ず、楽天家、おっちょこちょい、食べること大好き!

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

訪問者数

カテゴリ

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2掲示板

ブロとも一覧


ワーキングホリデーinオーストラリア

ちょことまろん

FP(ファイナンシャルプランナー)の『情報×スマホ』な生活

陶芸などなど

楽らく歩こう!
海外個人旅行や楽な子育て、手抜き家事紹介お気楽ブログ
大学時代の思い出 その7 一酸化炭素中毒
風呂の修理を終えた夜、事故は起きた。
被害者は2人。
業者の修理ミスだった。


修善寺の境内で。

最初に倒れた友は、髪を洗い始めたら意識が朦朧としてきたので、これはおかしいと判断し、適当に切り上げふらふらしながらも何とか着替えを済ませ出たのだという。しかし汚い階段に手をつき四つん這いで上り、順番待ちしていた友の部屋を叩いたところで記憶が途切れているそうだ。

まさか一酸化炭素中毒だとは思わず、もう一人風呂へ向かった。介抱した私たちは、熱い風呂に入りのぼせて倒れたのだろうと安直に考えたからだ。

しかしその数分後、階下から助けを求めるか細い声が聞こえ、私たちは事の重大さに青ざめた。

幸い同下宿会での笑いネタになっているからいいのだけれど、一つ間違えば命を落としたり後遺症を負っていたかもしれない。

こんな怖い話ばかりではなく、むろん18歳の女学生6人の中には、ゲジゲジ眉で髭の濃い「主」に思いを寄せる子もいたわけで、ともかくあれこれ話題が尽きない1年間だった。

来年は記念すべき10回目。またこれらの話題で盛り上がるのか、はたまた新ネタが飛び出すか? 今から楽しみだ


修善寺温泉「ねの湯」の料理。いやぁ~ここもまた絶品。小さいけれど、料理を食べに行きたくなる宿でした。
スポンサーサイト



学童時代の仲間と
娘の学童時代の友達母娘と4人で1泊してきました。

我が子たちが6年生まで続けていた習い事は土曜のピアノだけだったので、どっぷり学童漬けの毎日だった。庭に穴を掘ってドロドロの池にしたり、どこからか集めた木、藁、段ボールなどで秘密基地を築いたり、庭で火を熾してハンバーグやカレーを作ったり……。

1年から6年生までいるから、子供たちの中に縦の関係ができ、甘えん坊だった子もだんだんとお姉さん、お兄さんに成長していく。もちろんケンカも日常茶飯事、息子は木から落ちて鎖骨を折ったこともある。でもそうした経験すべてがお金では買えない「宝」だ。

共働きだったが、親の出番も多く、夏は、仕事の休みが取れると親たちも一緒に汗だくになって子供たちのお昼ごはんを作ったり、子供らと探検ごっこに出かけたり。また年間通して、毎月のように、子供たちの育ちや現状について学童の先生や親たちが車座になって夜遅くまで話し合ったりしていたので、他の家の子も我が子のように可愛く思えた。

「お金を払って預けている」という意識ではなく、「一緒に育てている」という気になっていたのは、共有する時間を多く持ち、同じ空気を吸っていたからだろう。そういうように私たち親を導いてくれたのが、ベテラン学童の先生たちだった。

そのお蔭で、子同士だけでなく親たちとも今だにつながっている。またもし私たち親子に褒めていただける面があるとしたら、それは学童で培われたものと断言できる。

ところが今は学校の空き教室での運営なので、勝手に穴を掘るわけにもいかず、市によっては、3年、4年生までしか通えないとか。制約が増えれば、活動も小さくなり、子供たちの育ちにも大きく関係するように思えてならない。「心を育てる」には、多くの人の中で揉まれて汗や涙を流す経験が必要なんじゃないかなぁと思うのだけど……。

大学時代の思い出、次回で終わりにしようと思っています。

河津料亭「おかりば」で。
「御狩り場」、つまり昔お殿様が猪などの狩りをしていた場所で、女将の父親も猟師だそうです。猪鍋も美味でしたよ。

大学時代の思い出 その6 火事
「火事だ!」の声で飛び起きると、窓がオレンジっぽい赤色に染まっていた。
その辺りにあるものを手当たり次第にバックに詰め込み、たすき掛けにして部屋を飛び出す。自分でも気が動転しているのが分かった。心臓がうるさいほど存在感を露わにしている。

みんなバタバタと窓をまたぎ、隣家の屋上へ向かった。

上から見ると、数軒南の家が火元だとよく分かる。
しかしその先、道路を挟んでガソリンスタンドがある。
もしそこにまで火の手が及んだら、大参事になる。

サイレンの音、野次馬のざわめき、時折立ちのぼる赤い火柱。
火の粉が風に運ばれ、頭上から降り落ちてくる。

ただただ焦りと恐怖で震えている私の背後で、冷静な声が聞こえた。
「火の粉が飛んでくるということは、風は北に吹いているわけだから、スタンドが爆発することはないよ。この程度の風だとここまで類焼する心配もないと思う。」

浄蓮の滝 2 s
浄蓮の滝

そういえばあの時、誰一人階段を降り外へ逃げようとしなかった。
同下宿会で仕入れた話によると、流しとガス台が付いた隣家の2人のところへ、近所にいた先輩が火事を知らせに駆けつけてくれたらしい。先輩の情報もあり、外へ逃げ出す必要性がないことを2人は既に知っていたようだ。

浄蓮の滝 わさび田 s
わさび田

鞄の中に貯金通帳は入っていたが、印鑑を入れ忘れていたし、どうでもいい洋服が数枚のみ……。
なにせ昔からおっちょこちょいな性格なもので
大学時代の思い出 その5 値下げ交渉
トイレに行くにも、風呂へ入るにも、外へ出かけるときも屋根の上を渡り、窓を乗り越えなければならない部屋。こんなに不便だが、7部屋のうちで家賃が一番高かった。なぜなら流しとガス台付きだったからだ。

ところが最初から流しがあったわけではない。入居して1か月経っても付けてくれなかった。ひどい話だ。

また他の友達に聞くと、家賃の相場は「1畳約千円」だという。しかし確か私が借りていた床の間付きのだだっ広い8畳間は、1万だったと記憶している。2千円も多くせしめていることになる。

さらに当時、敷金や礼金なんていうのも無かった。なのに「修繕費」と称して4年間で2万も払ったという話もある。

6人は、夜な夜な集まっては情報交換をし、愚痴をこぼしあった。と、誰かが
「家賃値下げの直談判に行こう!」
と言い出した。



恐いもの知らず、世間知らずの18歳。揃いもそろって皆果敢だった。

思い返せば、あの頃はまだ学生運動の名残があった。中核派や民青委員がオルグに各下宿を回っていたし、大学敷地内に社会や政治を批判する看板も立てかけられていた。
「談判」「打破」「革命」「正義」「権利」などという言葉や、「不当な扱いには断じて屈しない」という思いが、若い私たちの心を揺さぶったのかもしれない。

車が行き交う大家宅への道は、歩道の幅が一人分しかなかった。その暗い夜道を、映画『スタンド・バイ・ミー』よろしく一列に並んで出向いた記憶があると、友は言う。


生花が添えられた料理  料亭「おかりば」

無論、値下げ交渉は成立し、ピンク色の公衆電話も付けてもらった。
1畳千円って、一体いつの話だって?
ほんの30数年前よ
大学時代の思い出 その4 事故
この下宿での思い出は1年間のみ。なぜなら翌年の3月、6人プラス「主」全員が転居したからだ。
その引っ越しの時、事故は起きた。

兄のような存在だった「主」は、6人の引っ越しを快く請け負ってくれ、こう言い放った。
「俺にまかせろ!」
この言葉が、どれほど頼もしく聞こえたことか。

軽トラックは、近くの八百屋でただで借りた。
荷台にタンスや机、布団などを積み込む。たかが一人住まいの荷物、されど6人分となれば結構な量。しかもあちこちの新下宿先へと運ばなくてはならない。

頼みの綱は、運転免許を持つ「主」。アルバイトで小売店へのアイスクリーム補充をやっており、車の運転は慣れたものだという。


料亭「おかりば」

ところがだ! あろうことか最後の運搬で事故を起こしてしまったのだ。

カーブを曲がり切れなかったのか? はたまた車輪を落としたのか? ドンという音に驚き、新しい下宿先から飛び出すと、田んぼにコロンと横倒しになったトラックが……。
その傍らで赤紫のジーンズを履いた「主」が、ばつの悪そうな顔で頭を掻いていた。

このシーンが鮮明に記憶に残っている。その後トラックをどうやって田んぼから引き揚げたのか? 無料で借りたトラックなのに、どうお詫びしたのか? まるで覚えていない。

ただ不幸中の幸いで、誰も怪我しなかったし、冬場だったので、田に稲もなくトラックや家具類にも傷はつかなかった。

なぜこの事故が共有の語り草になるのかというと、6人中4人が一緒に新しい下宿へ移り、現場を目撃しているからだ。

ちょっと話が先に飛びすぎた。時間を、前年の春に戻そう。


右に見える飾り、一体で50万だそうだ。
大学時代の思い出 その3
「主」と初めて会ったのは、数日経てからだった。
いつもその部屋のドアは閉まっており、中に誰かいる気配はあるのに、妙に静かで生活音が聞こえず、まるで身を隠しているかのようだった。

しかしトイレはひとつ。「主」の部屋は建物の真ん中あたり。
興味津々の我ら6人を避けるにも限界があるというものだ。

ご想像の通り「主」は男子学生で、しかも8年生だった。
本人もさぞかし困惑していたに違いない。次々入ってくる新入居者は女ばかり。
女子学生たちが廊下で立ち話でもしていたら、トイレへ行くタイミングさえ掴めなかったことだろう。
今思えば、実に気の毒だ。

ゲジゲジ眉で長身。がっしりした身体の割りに気弱そうな……、いやとても温厚な良い人だった。
だから人柄が分かると、18歳の私たちは、すぐ兄のように彼を頼った。

頼った……、そう頼ったがために事故を起こしたことがあった。それも同下宿会の定番の話題だ。


河津の料亭『おかりば』
1日2組しか客を取らないとか。

大学時代の思い出 その2 変な造りの建物
伊豆高原の夜、誰かが
「大家は、新入生の女子ばかり6人と言ったよねぇ?」
と言い出す。
異口同音に「そうよ。」「確かに言った!」と相槌を打つ。

6人、されど部屋は7つあった。

そもそも建物自体がミステリアスだった。階下には広い土間と窓のない小部屋が2つほど、そして共同風呂と共同台所があった。下宿部屋になっていたのは2階。が、まともな部屋はたった3つ。

恐らく16畳ほどの広間だったところを、8畳と6畳にベニヤで分け2部屋にしたものと思われる。
8畳には立派な床の間があり、もう一部屋は畳を横に並べた6畳で、ひどく使い勝手の悪い長方形。しかも片面が高窓。

その部屋と部屋の間に大家は廊下を作っていた。
なぜ廊下が必要だったのか? 

廊下の先に肘掛窓があり、その窓をまたぎ屋根の上を通らないと隣の建物の2階へ行けない構造だったからだ。そこに2部屋あった。

この2部屋を合わせて全部で7つ。女子学生は6人。
そう、残る一部屋に「主」が住んでいたのだ。

城ケ崎 吊り橋 灯台 s
城ケ崎 s
城ケ崎

大学時代の思い出 その1
拙文ブログを訪問くださり、ありがとうございます。
先週、愚息が一人住まいを始めました。「自分で揃えるから、何の準備も要らないよ。」と言われたものの、何だか落ち着かず、段ボールに寝具や洗面用具、裁縫道具を入れた小さな缶や調味料などを詰め込んだりと親ばかをして、息子に呆れられ……
そんなこんなでご無沙汰してしまいました。

では、早速続きを。


同窓会、いや同下宿会という表現の方が正しい。同じ屋根の下で暮らした仲間たちとの会は、伊豆高原で9回目。1998年からスタートしたので、1~2年毎に開いていることになる。幹事の地元や遠くは香港まで。もちろん私は皆勤賞。


湯葉で巻いた海老しんじょうを揚げ、トウモロコシのソースで。ホテル「花吹雪」の夕食より

毎回出てくる話題がいくつかある。例えば……家主に家賃値下げ交渉したこと、一酸化炭素中毒で死にかけたこと、空き巣被害、床を踏み抜いたこと、火事……。こう並んだ単語を第三者として見ると、呪いの館に住んでいたようだ。しかしこれらショッキングな話題よりもまず最初に出てくるのが、某人物のことだ。

新入生の女子ばかり6人と聞き入居した下宿に、ひとり「主(ぬし)」がいた。(つづく)


湯は無色透明。黒もじの風呂
伊豆高原 大学時代の思い出 序
大学時代に同じ釜の飯を食った仲間たちと、数年ごとに集まっている。
鳥取、岐阜、福島、茨木、神奈川、埼玉からと6人皆住まう場所はバラバラだ。

子供たちは働き出したり結婚したりで、もう手が離れている。
しかし、私以外皆まだ現役。親の介護を抱えている友もいる。

宿は伊豆高原駅に近い「花吹雪」。
こんな高級旅館は初めて。



山の斜面を利用したコテッジや露天風呂を回廊がつないでいる。
貸し切り風呂は7か所点在し、それぞれしつらいが違う。



リビングを挟み和室が2部屋ある広いコテッジだったので、真夜中までおばさんたちの笑い声が響いても、他のお客さんに迷惑をかけることはない、なかったと思う。

数十年前、同じ屋根の下、共同キッチン、共同トイレ、共同風呂で過ごしたあの1年間。
夜通し語っても尽きない話題。

その思い出を少しずつ紹介しながら、伊豆の旅をupしようと思う。
楽らくブルーベリージャム
今朝、朝5時に家を出て、友達の畑へ行ってきた。

マメな友達は、いろんなジャムを手作りしている。
夏みかんや柚子、イチゴにブルーベリー。変わったところでは胡桃。

春先に夏みかんとプラムのジャムをいただいた。
プラムの何とも表現しがたい甘酸っぱさは忘れられない。

そこで労働でお返しをと、ブルーベリー摘みに手を挙げた。

アブが出るので、頭から足の先まで皮膚を出さないように覆う必要があり、
8月の暑い中、作業を終えると、ぐったりするとか。

「熱中症」という言葉が、毎日のようにTVや新聞紙上を賑わせている……。
先日、実家の草刈を3時間やったとき、意識を失いかけたと夫は言った。
(夫は、「草刈機でやるから、オレ一人で行ってくる!」と余裕を見せていたのに、あわや彼岸の人になりかけた) 

大丈夫だろうか?
正直、ちょっとひるんでいた。
しかし自らやると言った以上、引くわけにはいかん!

じゃぁどうする?
少しでも「涼しいジカン」にやるしかない。

で、今朝の5時となったワケ。
朝にメチャ弱い私。まず起きることができるのだろうか?

案ずるよりナントやらで、白み始めた朝の労働は実に気持ちがよかった。



しかも「自分で摘んだブルーベリーは、全部持ち帰っていいよ」という友達のありがたいお言葉!

ボールに山盛り。測ったら2キロもあった。
早速、ジャムに。
刻まなくてはならない柚子や夏みかんに比べ、楽らく!
美味しいジャムができたぁ。