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花ある日々

Author:花ある日々
ブログへようこそ!

「楽しく、肩の力を抜いて気らくに、子育ても旅も人生も!」をコンセプトに綴っています。片言英語での個人旅行です。出会い、失敗は旅や人生の醍醐味!

2019年2月 中国桂林へ従兄夫婦と4人旅。
2018年秋 世界ゴールド・ノゾエ氏演出『病は気から』さいたま芸術劇場に出演
2018年6月 アメリカ西海岸をレンタカーでまわる。
2018年2月 ノゾエ氏演出ワークショップ『病は気から』(モリエール)芝居に出演。
2017年11月 息子夫婦とクロアチア・モンテネグロ・ハンガリーへ
2016年12月 故蜷川幸雄企画「1万人のゴールド・シアター2016」に出演。
2016年9月 夫婦でニューヨークへ。
2016年2月 従兄弟夫婦と4人で台湾地方旅。
2016年1月 夫、息子と私の3人でコペンハーゲン、スウェーデン、アイスランドへ。
2015年9月 夫と車で北海道ユースホステル利用の安旅。
2015年8月 友達と韓国ソウル、安東、水原へ
2015年5月 従兄弟夫婦と4人でベトナムへ。
2014年11月 女友達4人でメルボルンへ。
2014年10月 従兄夫婦と4人でトルコへ。
2014年2月 韓国南部の田舎街へ夫と2人旅。
2013年10月 1か月ヨーロッパを夫との2人旅。
2013年1月~2月オーストラリア・ニュージーランドを35日間の旅。自炊中心の安旅行。
2012年4月〜5月 韓国・上海。

夫:慎重派、倹約家、現実的、カメラ好き 走ることや木工細工が趣味。

私:好奇心旺盛、向こう見ず、楽天家、おっちょこちょい、食べること大好き!

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ガレージセール 2
小春日和の日を選んで、リースの土台となる蔓を求めて里山へ出かけた。
蜘蛛の巣をかいくぐり足場の悪いところで、身体をねじりながら採る。
蔓の根元を切り採り、ぐっと引っ張ると、ばらばらと頭の上に木の葉が落ちてくる。

採取してきた蔓を、半日かけてリースに編む。
蔓の節やねじりを利用し、形や大きさを考える。

野薔薇の実は河川敷で採る。
知る人ぞ知る穴場。
ちょっと前までクレソンやクルミの木もあったそうだ。

拾い集めた松ぼっくりは、炭にして付加価値を。
野薔薇は1本1本トゲを落とし、大きさを揃え束ねる。

木の実をラッピングすると、ぐっと価値が上がる気がする。
いろんな種類の実が集まった。




前日準備段階で、友達からのアドバイス。
ご迷惑をかけるお詫びに、両隣や前の家に「お飲み物券」を配ってはどうか!と。
それは名案と急ぎ作成し、配った。

配り終えて、まもなくメールが入った。
「ガレージセールは28日では? お飲み物券の日付は29日になっているよ」と。
あらら……。










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ガレージセール
明日、我が家のガレージで、リース作りを教えてくれた友達(夫たちは小屋作り仲間)
天然素材を使った手作りクリスマスリースや木の実などの素材を売る。

日にちを確定したのは、2週間ほど前。

天気と「予定日より早く産みたい」という娘のお腹も気になり、内心はヒヤヒヤ……。
孫よ、出てくるのは、せめて来週にしてくれ~!
ばぁちゃんは忙しいのだ!

先週、蔓を採りに里山へ入り、野薔薇や木の実を集めて回った。
見本リースを作ったり、一昨日は松ぼっくりを炭にしたり、何かと大忙し。



まだ作ったチラシが手元にドンとある。
宣伝しないと、お客は来ない!
ようやくお日様が顔を出したので、幼稚園前や公園でチラシを配ってこよう!

売り上げは、夫たちの小屋作り費用に回す。
年金生活者のお金をかけない豊かな時間のために!



富士山 ラスト
世界遺産認定によって、こうも変わるとは!

1,ギシギシガタガタのボロ電車ばかりで赤字路線としか思えなかった富士急行線に、いろんな新型車両が走っていた。
先頭がパノラマになっている特急列車やまるでカフェのカウンターに座るように、窓に向かって腰掛ける席を設けたレトロな「登山列車」、子供ねらいのトーマスランド号から成田エクスプレスまで。

富士急行線

2,駅員はもとより、バスの運転手、店員さんまで流暢な英語をしゃべっていた。
失礼だが、田舎のバスのおっちゃん運転手が巻き舌で
Where do you want to go?
とか
運賃をスラスラ英語で答えているのを聞いた、いや見たときは、ひょぇ~と驚いた。

むろん大型バスで来る外国人は団体さんがほとんど。
しかも8割以上が、中国からの観光客。

旗に連れられて団体が到着すると、店員がこれまたぺらぺらの中国語で客引きする。

3,河口湖畔に、いろんな観光施設ができていた。
富士急ハイランドとケーブルカーくらいしか無かったんだけどなぁ~。

電車やバスで回ると、新しい発見があるなぁと面白がっていたが……。

河口湖畔を廻るバスは、観光客で混雑していたのに、忍野八海へ向かうバスは私たち3人だけ。
雨の忍野八海はオススメでないことを、身をもって知ることに……。

水車小屋の藁葺き屋根の向こうに見えるはずの富士山は当然無く、八海は水面を揺らす雨で、単なる水が溜まった池。
底まで透けて見え、光沢ある黄緑や黄色の魚が泳ぐ神秘さはみじんもなかった。
帰りのバスも我ら3人だけ。傘をさしても、濡れねずみ。

「晴れ女」じゃなかったのかって?
実はこの朝も、奇跡のように雲が上がり2時間ほど姿を見せた。



しかも逆さ富士

富士山 3
紫式部の歌じゃないけれど、
めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし富士の山かな

ほんのちょっとだけ河口湖越しに見えた富士。
そこで先週のリベンジとばかり、勇み出かけた今週。
前日は快晴だったのに、当日はまたしても曇天。

今回は、大宮から大月までのJRと富士急行線や富士五湖周辺バスが乗り降り自由で、2日間有効という「、富士五個ぐるり乗車券」を使った。JRの駅で買える。

ところが、出発前々日に友達から届いたメールに焦った。
「この乗車券って、前日までに購入が必要らしいよ!」

当日買うつもりだった詰めの甘い私!
しっかり者の友達を持って幸せだ

結局JRの駅近くに住んでいるその友達に買ってもらったのだが、あまり周知されていないらしく、買うときちょっと手間取ったという。確かに改札を通過するとき、JR駅員は初めて見たとばかり、しげしげと乗車券を見ていた。

因みにこのチケット、大宮以外でも、都内からや横浜からなど出発地点がいくつかあり、値段も違う。富士急行線やバスを何ども乗り降りしたので、かなりお得になった。



先週知らずに寄らなかった紅葉回廊。


辻が花の絞り染めで有名な「一竹美術館」の展示着物もだが、建物内から見える庭もまた良し。

で、富士山は見えたのかって? それは……次回。



富士山 2
従兄弟夫婦も私たち夫婦も、自称「晴れ男晴れ女」。

先週、山梨入りする前日まで雨模様だったが、『明日は晴れて富士山はその雄姿を現す!』 と、無邪気に信じ切っていた。

しかし現実はそう甘くない。
当日、厚い雲に覆われ、雨こそ降らねど、いづこにありや?状態

ところが河口湖畔で泊まった翌朝、小一時間ほど雲が切れ、その姿を見せたではないか!



すぐにまた雲が垂れ込め、忍野八海からの富士山を拝むことはできなかったが、もしかしてあの雲の向こうでは、裾野を広げているかも?と期待しつつ、三島へ抜けると、予想に違わず白い空を背景に全姿を見せていた。

そして今週、自称「晴れ女」の私は、友達と再度河口湖へ向かった。

富士山 1
先週、従兄弟夫婦と4人で富士山へ出かけてきた。
紅葉の中たぎり落ちる川の白さが美しい昇仙峡を周り、本栖湖へ。

そこにフランス人カップルがいた。
彼女の方は疲れた様子で重いリュックを抱え、所在なげに座り込んでいる。
千円札に描かれた富士山を楽しみに来たのに、雲のキャンバスとただの湖が広がっているだけ。

日本は物価が高いので、テント泊だという。
本栖湖畔より、河口湖畔の方が便利だろうと、車への同乗を薦めた。

フランスからシベリア鉄道を4日間かけ、日本へ来たそうだ。
1年間貯めた費用で、数ヶ月かける旅のゴールはニューカレドニア。
そこで仕事を探し、できるだけ永く住むつもりだとも。

リュック一つで、これからの生活の場を変える……。
人生の過ごし方や思い切りの良さに、スケールの違いを感じる。



梁澄子さん講演「日本軍慰安婦とされた女性たち」の後編は、12月末頃に再開予定です。
地元9条の会月刊誌に連載したものを、このブログで紹介しているのですが、毎日掲載して、ついに追いついてしまったのです。
梁さんの校正が終わった状態で手元に原稿はあるのですが、9条の会より先に公開するのはちょっとマズイかな?と思われ……。
しばしお待ちくださいね。



日本軍慰安婦とされた女性たち 6
軍管轄から業者に
慰安所を軍が直接経営していたことは、38年1月20日、独立攻城重砲兵第二隊長による状況報告書でも分かります。

「慰安設備ハ、兵站ノ経営スルモノ、及軍直部隊ノ経営スルモノ、二箇所アリテ……」

しかしこうした軍経営の慰安所は次第になくなっていきます。なぜなら植民地から連れて来られた女性たちを黙らせる手段を知らなかったからです。また軍が経営する慰安所は、規律が厳しすぎて楽しめないこともあり、間に業者を置くようになっていきました。

業者は、国内の遊郭でやっていたように「借金を返すまでは帰れない」という意識を女性たちに植え付けました。慰安所に行くと、日本の遊郭のような帳場があり、そこで軍票というお金の代わりになるものを払い、壁にかかった名札を見て女性を選びます。

軍自らが業者に任せ、こうした「遊郭もどき」を作っていたことに、利用していた軍人たちも気がつかなかったのだと思います。

慰安婦募集・派遣に国、警察の関与
女性を中国へむりやり連れて行こうとする業者を取り締まっていた警察が、業者と連携し、秘密裏に慰安婦募集に荷担していくことが、資料に残されています。

「募集等ニ当リテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其実施ニ当リテハ、関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持、並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス」。陸軍副官通牒「軍慰安所従業婦募集ニ関スル件」(38年3月4日)

下記は、醜業を目的として中国中部へ向かう者に限って当分の間黙認するという、警察を管轄する内務省警保局長の38年2月23日に出された通牒です。

「醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ、現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ満二十一歳以上、且花柳病其ノ他伝染性疾患ナキ者ニシテ北支、中支方面ニ向フ者ニ限リ、当分ノ間、之ヲ黙認スル……」。 「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」

この通牒を出す5日前2月18日に内務大臣の部外秘とした決済書も見つかっています。
また内務省警保局資料「支那渡航婦女二関スル件伺」には、次のように書かれています。

「本日、南支派遣軍古荘部隊参謀陸軍航空兵少佐佐久門有文及陸軍省徴募課長ヨリ南支派遣軍ノ慰安所設置ノ為必要ニ付、醜業ヲ目的トスル婦女約400名ヲ渡航セシムル様配意アリタシトノ申出アリタルニ付テハ、……各地方ニ通牒シ密ニ適営ナル引率者(抱主)ヲ選定、之ヲシテ婦女ヲ募集セシメ、現地ニムカハシム様取計相成可然哉。」(38年11月8日施行)

国内法に抵触していることが分かっているので、密かに出されていたのです。 (続く。12月下旬から再開予定)
日本軍慰安婦とされた女性たち 5
梁澄子さん講演

慰安所設置の目的
 37年7月に日中戦争に突入し、12月に南京事件が起きます。
南京は国際都市だったので、欧米の記者や宣教師がたくさんいました。

南京大虐殺事件といいますが、事件を目撃し真っ先に母国へ報告した欧米人の電報見出しは、「レイプof南京」の方が多かったと言われています。つまり女性に対するレイプがあまりにも甚だしかったのです。

 南京占領後、天皇の軍隊が女性たちを強姦しているのは体面も悪いし、自分の身内を強姦された住民の反感も買って占領地行政もうまくいかない。こういったことが、陸軍が海軍に倣って(海軍が上海で1932年に慰安所を持っていたことは公文書で確認されている)本格的に慰安所を設置していく動因となりました。

住民女性を無差別に強姦することへの防止や性病検査をした慰安婦だけを相手にすれば性病を防ぎ、軍人の不満のはけ口、そして閉ざされた空間なので秘密も漏れなくなる、こういう発想なのです。

慰安所設置の目的は、①強姦防止、②性病防止、③将兵への「慰安」の提供、④軍の機密保持・スパイ防止の4点です。


昇仙峡

証拠 
これを裏付ける証拠が、北志那方面軍参謀長岡部直三郎の「軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件通牒」(1938年6月27日)です。(一部引用)

2.……強烈ナル反日意識ヲ激成セシメシ原因ハ各所ニ於ケル日本軍ノ強姦事件カ全般ニ伝播シ実ニ予想外ノ深刻ナル反日感情ヲ醸成セルニ在リト謂フ。

4.右ノ如ク軍人個人ノ行為ヲ厳重取締ルト共ニ一面成ルベク速ニ性的慰安ノ設備ヲ整ヘ設備ノ無キタメ不本意乍ラ禁ヲ侵ス者無カラシムルヲ緊要トス。
(続く)
日本軍慰安婦とされた女性たち 4
梁澄子さん講演

中国前線での慰安所
 中国で裁判を起こしたのは、山西省の盂県という非常に小さな村の人々です。日本軍は侵攻すると山の上に砲台を造り、そこを陣地、駐屯地にし、村から女性たちを連れて来て強姦、輪姦をしました。

規律を作り、お金の代わりになる軍票を出して…というような制度的な慰安所ではなく、前線では軍人たちが自分たちで勝手に女性たちを監禁し強姦する場所を作ったのです。

慰安所というのは、無差別に軍人が住民女性たちを強姦しないようにと作ったものですが、実際には強姦を助長してしまったという事実があります。

 親たちは娘を取り返すための身代金を捻出しようとわずかな田畑まで売りました。しかし解放されても、日本軍の性暴力被害者だと村人皆が知っているという環境の中で、精神的に被害回復ができないまま生きてきた女性たちがこの地域にたくさんいたのです。

 ある小学校の先生が、いつも周りの人たちと交わろうとしない女性の存在に気づき、妻とともに通ってその女性と畑仕事をしたり支援を10年間続ける中で、ようやく心を開き語り始め、事実を知ったというのです。



「略取」でなければ責任ない? 
民間業者が騙して連れて行った件も実際多いです。これをもって右派の人たちは、業者が金儲けのために、金儲けをしたい女性を連れて行ったのだから国に責任は無いと言っています。また安倍首相らは、「略取」であれば国の責任だが、民間業者による「誘拐」に国の責任はないという考え方です。

 今でも使われている法律用語「略取」は、暴行とか脅迫とかで誘拐し第三者の支配下に置くこと、また「誘拐」というのは、騙したり誘惑したりして判断をあやまらせた上で任意に随行させて支配下に置くということです。

しかし現行刑法には「未成年者を略取し、または誘拐した者は、3ヵ月以上5年以下の懲役に処する(第224条)」「営利、わいせつまたは結婚の目的で人を略取し、または誘拐した者は、1年以上10年以下の懲役に処する(第225条)」とあります。

 つまり「略取」と「誘拐」の量刑に差はない、語の使い分けに意味はありません。例えば子どもを騙して誘拐したか、殴って略取したかで罪の重さに違いがないというのは、一般的な感覚で充分に分かることです。

慰安所設置を認めた書類 
「野戦酒保規定改正に関する件」という書類が残っています。

「野戦酒保」というのは、軍人に必要なものを売るところです。普通は売店ですが、「野戦酒保利用者の範囲を明瞭ならしめ且つ対陣間に於いて慰安施設を為し得ることをも認むるを要するに依る」という改正理由で、「必要なる慰安施設をなすことを得」と、野戦酒保規定が1937年9月に改正されました。

これが、軍が慰安所をもつ法的な根拠となりました。

また、極秘というスタンプがついた「営外施設規定」という1942年のものと推定される文書も発見されており、そこには「酒保規程」が慰安所設置の関係法規のひとつであることが記されています。(続く)

日本軍慰安婦とされた女性たち 3
梁澄子さん講演会より 

法務省が提出した強制連行記述
「B(元陸軍少佐)は兵站関係担当将校として、慰安所開設許可を軍本部に申請したものであるが、慰安所開設の際(1944年2月ころ)、女性の全員または多くが強制無しには売春に応じないであろうことを察知し得たにもかかわらず監督を怠った事実、及び慰安所で女性を脅して売春を強制するなどをし、また部下の軍人または民間人がそのような戦争犯罪行為を行うことを知り、または知り得たのにそれを黙認した。(判決・死刑)」

この資料は、政府第二次調査のとき、当時の法務省から外政審議室(今は存在しない部署)にあげられており、安倍首相も閣議決定を出すときに、この資料のことを知っていたということが、後に東京新聞によって暴露されています。

知っていたのに、「強制連行の記載は無かった」と、平気で閣議決定を行ったのです。

武田神社

オランダ人の慰安婦も 
被害者ジャン・ラフ・オハーンさんという方は、オランダ人として最初に名乗り出た人で、バタビア軍法会議で8人処罰されたスマラン事件の被害者です。

 当時オランダ領だったインドネシアへ1942年3月に上陸した日本軍は、彼らを中部ジャワの抑留所に収容します。2年後17歳から28歳の女性たちだけを並ばせ、選別した10人ほどを有刺鉄線で囲んだ慰安所へ連れて行ったそうです。

同意書のようなものにサインを求められましたが、軍人の相手をさせられるということが書いてあり、最後まで拒否したそうです。

頭がくらくらして立てなくなるまで殴られ、昼も夜も強姦される日々が3ヵ月間続いたといいます。占領地で軍人たちが強制的に連れて行って慰安婦にしたという証拠が出ており、1994年にオランダ政府が公的な報告書を出しています。(続く)

日本軍慰安婦とされた女性たち 2
梁澄子さん講演

安倍首相ら右派の論法
 「強制連行」か否かが重要だという論法がかなり流布し、世の中的にもそれに引きずられているところがあります。
 右派の論法としては、民間業者ではなく軍人や警察や憲兵などが女性を脅して強制的に連れて行なった、これを「強制連行」とし、安倍首相自身が第一次安倍政権の時に、「狭義の強制連行」と称しています。さらに被害者の証言だけでは信用できず、強制連行の証拠になるのは公文書だけだとも。しかし軍人が女性を殴って連れて行ったと公文書に書くわけがない…。それでもそういう公文書が無ければダメと言わんばかりの論調で「強制連行論」が展開されています。

人権蹂躙こそ問題
 私はこの運動に入った当初から、「強制連行」が焦点ではないと考えてきました。日本軍という一国家の軍隊が、戦争を遂行するために女性の性を道具として使う、これこそ許されない人権蹂躙です。そういう国家の政策のもと、女性たちが抜け出せない監禁状態の中で軍人たちの相手を強要させられたということ、これが問題の本質であって、慰安所がどういう所で、慰安婦が何をさせられるかが分かっている場合(日本人慰安婦は分かっていた人が多い)であっても、そこでお金をもらっていた場合でも、これは国家による女性に対する重大な人権蹂躙である点においては、なんら変わりは無いわけです。

ハヤトウリ

「公文書には無かった」という答弁書
 具体的には2006年から2007年の第一次安倍内閣の時に、辻本清美さんが出した質問主意書に対して、「政府が発見した資料の中には軍や官憲による強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」、つまり「公文書の中には無かった」と閣議決定しています。河野談話は閣議決定されていない談話です。官房長官談話は閣議決定しなくても出せるのです。2013年に、橋下徹さんが慰安婦問題に関していろいろな暴言を吐き、国際的にも非難を浴びたときに、彼は「閣議決定されている日本政府の公式見解はこの答弁書だ。なぜなら河野談話は閣議決定されていないが、これは閣議決定されている、公文書の中には強制連行の記載は無かった」ということを何度も言っています。 

存在した「強制連行」資料
 91年以降、省庁にある当時の軍の資料などを政府が調査しました。1回目の調査は加藤官房長官のときに行なわれ、92年に調査結果が発表されますが、まだ足りないということで第二次調査の報告を発表したときの官房長官談話が、93年8月の河野談話です。その第二次調査結果資料の中に強制連行を示す記述は見当たらなかったというのが答弁書の内容でした。しかし政府の第二次調査では、明らかに軍による女性たちの強制連行や強制的に慰安婦にしたという資料(スマラン事件に関するバタビア臨時軍法会議の記録)が含まれていました。それを私たちは当時から分かっていました。なので、何であんなことを言うのだろうと思っていました。(続く)

やっと芽が出たスナップえんどう

日本軍慰安婦とされた女性たち 1
地元の「9条の会」の講演に、在日の慰安婦宋神道さんを心身ともに支えてこられた梁澄子(ヤンチンジャ)さんを迎え、話を聞いた。それを「9条の会」の月刊誌に少しずつ連載するため、文字おこしや梁さんに校正依頼など原稿に関わっている。

梁さんや宋さんとは、韓国併合100年にあたる2011年に、図書新聞さんが企画したシリーズに参加させてもらった縁で知り合えた。
先日、アベと朴大統領が慰安婦問題について直に話し合え、「進展」「解決」等前向きな発言があったことは喜ばしい。

そこで、1人でも多くの方に真実を知っていただくために、このブログでも少しずつ掲載しようと思う。
まずは梁さんの紹介から。


もう水仙が‼︎

梁澄子さん
両親は済州島出身。日本生まれの日本育ち。高校まで朝鮮学校へ通い、大学の友たちや先輩は私よりも朝鮮のことをよく知っている日本人ばかりという朝鮮コミュニティの中で何ら違和感なく生きてきました。ところが結婚し仲良くなったママ友たちは、朝鮮人たちがなぜ日本に住むようになったのかをあまりにも知らない。私の子どもたちが日本で生きていくのはなかなか大変だと思いました。同じ時代を生きている日本人たちと歴史認識を共有したいと考え、日本による植民地支配に端を発した在日朝鮮人問題について、同胞の女性たちと研究会を始めた翌年1991年に、金学順さんが慰安婦と名乗り出ました。以降、宋神道さんや様々な国の被害者たちの裁判や被害回復運動に携わって四半世紀が経とうとしています。(続く)
バッタ
親亀の上に子亀を乗せて、子亀の上に孫亀乗せて~じゃないけれど、
庭で写真のバッタを見つけた。



日向ぼっこしながら、見ていると、兄ちゃんバッタが突然飛び降り、塀をよじ登って行く。
親バッタは弟バッタを背負ったまま、じわじわと追いかける。
「そっちへ言ってはダメ!戻ってらっしゃい。」
まるで呼び止める親バッタの声に気づいたかのように、振り返り戻ってくる兄ちゃんバッタ。

しばしお互いの顔をつきあわせ、だんまり。
「ほら、背中に乗って!」とでも言われたのか、親バッタに乗ろうとするではないか。
どうやって三段乗りするのか興味津々。



少しずつ身体を動かしながら乗ろうと試みる兄ちゃんバッタ。何せ180度回転しなければならない。

しかし時間がかかるったらない!
ひとつ一つの動きと動きの間に、長~い静止時間が挟まるのだ。

確かに塀にしがみつき、重力に抗って、しかも親バッタと弟バッタの間に入ろうというのだから、超難関レベルだ。6本のどの足をどのタイミングで持ち上げるのか?よくよく考えながら慎重に取り組まねば地に落ちてしまう。



「ひょい!と、勢いつけて乗ちゃえ!」と声をかけたくなる気持ちをおさえ、静かに気づかれないように見守る。

バッタに耳はないだろうから、静かにする必要ないじゃん?と、自分で自分に突っ込みを入れながら観察。

10分近く経ち、ようやく直角から平行へ移行するかという段になって、突然、一番上に乗っていた小さいバッタが身体をフルフルと動かしたかと思ったら、兄ちゃんバッタをはじき飛ばしてしまった!

こんな終わり方・・・も、ある・・・か!



餌になっている小松菜。



東松山スリーデーマーチ
埼玉県東松山市では、昨日から34回目のスリーデーマーチが開かれている。

昨日、秋晴れのもと、ボランティアで参加してきた。
友達ご夫妻が15年間も自宅前で珈琲の無料サービスをしており、そのお手伝いだ。

「友達」といってもいいのかなぁ? 子供たちが学童でとてもお世話になった先生なのに……。
ここ数年夫婦同士で、お互いの家を訪問しあったり、例の河合弁護士監督の「日本と原発」の上映で助け合ったりしてきたから「友達」と呼ばせていただいてもいいかな?



30キロコースの半分くらいの地点。
8時半頃からポツポツ参加者がやってきた。10時半頃がピーク。
続々とやってくる。
ゼッケンに出身地が書かれている。関東地方が多いが、福島や山口からの参加者も。
外国人は意外と少なく、10名もいなかった。
コースは10キロ、20キロ、30キロと3コースあるので、この30キロコースは一番参加者が少ないのかもしれない。



今年は川越にある喫茶店の協力で、業務用の珈琲メーカーを貸してもらえ、さらに豆まで提供してもらえたとか。
それまでは、すべて持ち出しでサービスを続けてきたとのこと。頭が下がる。

珈琲の良い香りにつられ、しかも無料サービスと聞き、汗がにじみ疲れた顔がぱっと明るくなる人。
「今年もありがとう!」と声をかけていく参加者。
手伝っているだけなのに、自分たちまで喜びのお裾分けをいただけるなんて。
心温まる半日だった。

今日は、朝から雨。参加者、スタッフ、ボランティアの方々のご苦労を慮ってならない。